2010年12月14日 19:18
今年は「龍馬伝」が人気があったようです。私も後半になってから、ときどき見てました。
お龍に「坂本さん」と呼ばれると、「はい」と思わず答えていました(笑い)。
坂本龍馬は、土佐藩の下級武士でしたが、うちの坂本家も、先祖は、肥後細川藩の下級武士でした。
我が家の過去帳によると、初代の坂本茂右衛門(もえもん)は寛文3年(1663年)に亡くなっています。
小倉に生まれたのですが、細川藩が小倉から肥後熊本に国替えになったため小倉を出ました。でも、熊本には行かずに、大分市鶴崎にあった肥後藩の飛び地に移りました。
当時、熊本から米を大阪に出荷するのに、阿蘇山のそばを通って大野川の上流に出て、大野川を船で下り、大分へ出て、そこから瀬戸内海を船で運んだということです。
ご先祖は、大分で船に乗せて出す仕事をしていたようです。初代から11代にあたる祖父までの名前は
茂右衛門 - 茂右衛門 - 茂太夫 - 茂右衛門 - 茂七 - 茂太夫 - 与三右衛門 - 忠助 - 泰記 - 一馬 -逸男
初代よりずっと大分に住んでいて、第14代にあたる私のいとこの子は、いまだに当地に住んでいます。
で、坂本龍馬の坂本家と関係あるのかと言うと、たぶん、ありません。でも、想像をたくましくすると、あるかもしれない・・・
というのは、細川氏は小倉に来る前は、丹後にいました。そのときの当主細川忠興の妻は、細川ガラシャ(明智光秀の娘)です。
明智光秀と言えば、琵琶湖のほとりの坂本城を居城としていました。
一説によれば、坂本龍馬の坂本家の初代は、明智の一族で、本能寺の変で敗れた後(あるいは、その前に)、四国へ逃れたとのこと。坂本出身だったので、坂本を名乗ったという。。ただし、この説は、一般には認められてません。
うちの坂本家の初代の先代が、どこで細川家に仕えるようになったか、わかりません。その前から仕えていたとすると、もしかして、ガラシャが嫁入りする際に坂本からついて来た?
なんてありえないですかね。