4月3日の日記に、縄文時代は平和だったというYahoo! Newsの記事について書きました。
暴力による死亡率が1%台で、欧米やアフリカの狩猟採集時代の値の5分の1以下だということで、世界的に見て、非常に平和だったと言えると思います。
そういう平和な縄文人たちは、ムーの時代の生き方の伝承者だった、ということを『伊勢神宮に秘められた謎』(ハート出版)の中で書きました。
香取神宮の奥宮に封印されていた縄文人の族長たちを解放したのですが、その晩、彼らが龍神として祀っていた生命体と交信しました。
この生命体からもらった情報の一部を同書より載せます。
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縄文の民は森の恵みと海や湖の恵みをいただいて生きていた。彼らは必要なだけを取っていた。
我々は龍神であり、雨を自在にコントロールできるので、彼らの必要なだけの恵みが得られるように適量の雨を降らせていた。
縄文の時代を通して、人々は干ばつや洪水で飢えるということはなかった。
人口もほぼ一定で急増することはなかった。自然の一部として自然とうまくバランスした生き方をしていた。
それに対し、稲作民は森を切り拓き、田を作り、稲を植え、収穫する。
すべて人為的な行為で生活を維持した。何もしなければ何も得られないという価値観を持ち、実際そういう生き方をしていた。
それに対し、縄文人は違った。森の中で自然の恵みを得て生きていた。自然に逆らって人為的に何かをするという形ではなかった。
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人類は狩猟採集から稲作などの農耕に移行することで、その後の物質文化的な発展を遂げることができたわけですが、それによって失ったものもたくさんあったわけです。
今、自然とうまくバランスした生き方がますます見直されてきていますが、それはムー的な、縄文的な生き方に通じるものがあります。
ただ、そのまま縄文時代に戻るわけではありません。上昇するラセンの上にいるようなもので、360度戻っても、同じところにいるのではなく、上昇しているのです。
それにしても、レキシの歌はおもしろいですね。
この歌のように、縄文人の中にも稲作に入っていった人たちもいたんでしょうね。隣りの山田さんみたいに。