2017年5月15日 18:57
カテゴリ:Mas雑感
30年前の1987年5月16日は、思いで深い日です。
実は、アメリカに移住するために成田をたった日なんです。
そこまでの経緯は何回か本に書いたので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。簡単に書くとこんな感じです。
1986年の10月に池袋であったレーザー関連の展示会で、アメリカのベンチャー企業の研究者が講演をしました。
ちょうど私が開発していた高出力半導体レーザーのライバル会社の発表だったので、講演の後、研究者に会い、質問をしました。
そして、ソニーの方に見学に来ないかと誘ったところ、快諾してくれました。
当日、新橋まで迎えに行くと、その会社の社長もいっしょに行きたいということで、ふたりを厚木までお連れしました。
開発現場や生産ラインなど、見せてOKの部分をお見せすると、社長が「アメリカで働く気はないか」と聞いてきました。
私はその5年前の1980年から81年までトロント大学の修士課程に留学して、向こうでの生活が水を得た魚的な感じがしていたので、興味があると答えました。
決める前に一度見に来ないかということで、12月になって、ソニーにはないしょで、週末にシリコンバレーにあるその会社を見に行きました。
そこですっかり気に入り、働きたい旨を伝えました。
その後、ビザを取るまでに時間がかかり、3月末になって、やっとビザがとれたという連絡があり、上司に退職する旨を伝え、5月9日付で退職しました。
そして、5月16日に成田をたち、同日の午前10時ごろにサンフランシスコ空港に着きました。
空港には社長が出迎えに来ていて、その車でパロアルトに会社が借りてくれた家に行きました。
18日から新しい会社での仕事が始まりました。
社員50名ほどのベンチャーで、新しいものを作りだすんだというエネルギーに満ちあふれた会社でした。
Spectra Diode Labsという名前です。後で社名をSDL,Inc.に変えてます。
親戚からは、なんでソニーを辞めて、そんな50名しかいないベンチャーなんかに行くんだと言われました。つぶれたら、どうするんだと。
ただ、私としては、そういうことはあんまり心配しませんでした。それよりも、面白そうという気持ちの方が圧倒的に強かったと思います。
33歳で、まだ若かったし。