ニックネーム : コロ 6月9日10日に福岡セミナーF21とバシャールコースに行きました。
そして、ゲートウエイでもライフラインでも会えなかった、家族や彼にようやく会えました。(会えたはずです)
もう今回は期待せずに、ただリラックスする練習だけをして臨みました。死んだ姉からも「日ごろつながっているんだから、ヘミシンクしてもいつもと同じよ。映像を期待してもだめよ。○○ちゃんには言葉でしか来ないよ」といわれていたので、今回は言葉で想像することに徹しました。
MASさんからも「面影を思い出す」ことも呼び水になると言われたので、まず父の雰囲気を思い出しながらF21へ行きました。
そしたら光をバックに父がタキシード姿で迎えに来てくれている気がしました。私は父がタキシードなのでウイディングドレスを着ています。
姉も亡くなった時の柔らかな薄ピンクの綺麗な着物を着て、髪にかすみ草の花飾りをしていました。ああ、どんなに懐かしかったことでしょう。私は父に手をひかれて、光の向こうで待ってくれている人のところへ案内されました。
会えたのです!。もう、この物質界ではいつのまにか29年もの歳月が流れています。でも、私の中の時間は止まっています。ずっと、ずっと、思い続けている人です。彼もタキシードを着ていたのだと思います。3人で泣きました。「お父さんどうしてあのとき突然死んでしまったの?何があったの?」と・・・。尋ねたいことがたくさんありました。彼には私が信じ切れずに疑っていたことをあやまりました。はにかんで愛おしそうに笑ってくれました。姉は「私の代わりにお母さんを大事にしてね」と泣いていました。父は「安心して生きて行きなさい。」と頭をなぜてくれました。
そうです。この物質界のようにはっきり触れれるわけでもありません。今思えば、私が勝手に頭の中で想像して話していたのかもしれません。でも、感じるのです。深いところでわかっているのです。あの世界は真実だということを。
ヘミシンクを知らない人が聞けば、憐れんで「そんなこともあるよね。きっといつもそばにいてくれるよ」と耳にタコの言葉をまたくださるのだと思います。
でも私は「ない」事は想像できないことを学びました。想像は「知覚」だということ。想像は「創造」だということ。想像できたことはそこに「ある」のだという事を、どうしても会えない、何十回、何百回、試みても見えない、長い長いトンネルを通って学びました。
今日の朝のTVでオウム指名手配の高橋克也容疑者が読んでいた本の中に「体外離脱と死後体験」という本があったと、その本を手にとってみせていました。坂本さんの本です。コメンテターが「こんなありもしない事を書くからオウムのような人が出てくる」と社会悪のように言いました。
彼にはまだ以前の私のように開かれた扉が見えないのです。
この世界を信じるか信じないかは経験したか否かで違ってきます。また経験してもこの物質界に戻ってくると、何度も疑ったりします。
死後世界があると思うのも思わないのも私の自由。ヘミシンクの世界を信じるのも信じないのも私の自由。そして事態は信じた方向へと引き寄せられ変わっていきます。
私は、この道を選択します。「肝心なことは目には見えない」と星の王子様が言うように五感以外の感覚を磨いていきます。
かなめは「心」だと思います。それも力を抜いた「心」、ふわふわした「心」。以前のように歯を食いしばり、奥歯がボロボロになるまで噛みしめた心ではく、握りこぶしに爪がくいこみ血がにじんだ心でもく・・・。
私は長い間、冷たく研ぎ澄まされた抜身の刀を心の中にもっていました。私の悲しみの中に、もう二度と土足で他人が入れないようにいつもその刀を握り締めていました。追いつめられた獣が息を殺して、最後の逆襲を待つように神経を張り詰めて生きてきました。
でも、もうそれはいらない。その刀を錆びつかせるのではなく、大切に鞘に納めて奉納しようと思います。私の生きた証に。
私は一礼して、新しい道を選び歩いていきます。今度は力を抜いて風になります。風を受け入れる木々の木の葉になります。そして、五感以外の感覚を養い、天地創造を知りたいと思います。
優しいみなさん本当にありがとうございました。
不出来な私ですがこれからも一緒によろしくお願いします。
Mas
ほんとうにおめでとうございます。
これまで、長崎でのエクスカージョンからゲートウェイ・ヴォエッジ、ライフラインとずっと会えなかったご家族と彼に会うことができて、こちらもほっとしました。
ずっと導いてきてくれたお姉さんに感謝ですね。
これからは、つかんだコツに磨きをかけて、バシャールとの交信にも役立ててくださいね。
それにしても、昨日お話してくれたバシャールの冗談はおもしろかったです。
Mas
2012年6月11日 18:58