ニックネーム : BX27の「X」を巡る話
X27の日程が近づくにつれて、ガイドの誘導によってXに関する知覚が増えていきました。
セミナーでも死んだ魚のシェアが出た際に、イクトゥスのXについて、死や高次元での再生のイメージと関連させてシェアする機会がありましたので、セミナー本番での体験談から少し外れて、予習や過去のセミナーとの繋がりで把握した話を書いてみます。
『神性を生きる』(ジェフリー・ホップ)の中で、アダマス・セント・ジャーメインがイクトゥス(ジーザス・フィッシュ)に新たな解釈を与えており、この魚の尾ひれのX字は、神性(この書籍の記載では「スピリット」)の波形が初めて人間の波形と交わる気づきの地点であり、この地点で全ての過去を手放すと述べています。(神智学などでは第4イニシエーションに対応)
この交差の後、Xで出会った神性と人間は、魚型の頭で再統合(リユニオン)します。
※モンロー研プログラムの推薦のようですが…
『神の国』の著者、ローマのアウグスティヌスは、このイクトゥスが表すギリシャ語を神聖な三位一体からなる27(3×3×3)の文字から成ると述べており、X27の27も意味深です。ただし、ギリシャ語で27文字というのはアウグスティヌスの誤認のようであり、セント・ジャーメインは、縦と横の十字は、キリスト教独自のシンボルではなく、古代(エジプト)から伝わるシンボルで、天国と地球の統合を示しているとも述べています。
(なお、バラ十字では、十字を人間の身体の象徴としています。)
以前に参加した、ゲートウェイ・ヴォエッジの5つのメッセージのセッションで、五番目のメッセージとして「碁盤(の)目」と対角線上のバツ印「X」が現れ、「ここから垂直に上昇するように、垂直は影を落とさないから」と告げられました。
単なる駄洒落だと思った碁盤目は、その後に理解が深まり、碁盤に361(19×19)の目の数があり、360度+1度の螺旋的な上昇を表すとの事。
一方のバツ印「X」以降は、意味が分からないままだったのですが、X27直前になって、『シンボル・オブ・ライフ』(スティリアノス・アテシュリス;ダスカロス)の10番目のセンターとして出てきました。
http://www.daskalos.jp/701circle/image2/The-Symbol-of-Lifet3.jpg
ダスカロス曰く、カバラの生命の樹(セフィロトの樹)と異なり、シンボル・オブ・ライフは純粋なクリスチャン・システムで、彼の過去生のコール・アトンとオリゲネスによって整えられたとの事であり、異なる系統の前者には四角に描かれた「X」は出てこないようです。
なお、両者とも古代エジプト由来ですが、前者はモーセによって組み替えられているとの事。
この10番目のセンターは、真上から見たピラミッドにも相当しており、ピラミッドから垂直のラインを上がって行くと五芒星と六芒星を通過する「スターライン」になっています。
(この部分は、ガイドからのスターラインズ(Ⅰ・Ⅱ)の説明を受けたかのようです。)
なお、シンボル・オブ・ライフはミクロコスモス(身体)としても見ることが出来、中央の各センターがチャクラに相当するとの事。
伝統的なチャクラのシンボルではなく、チャクラを写実的に描いたと主張するリードビーターの『チャクラ』では、根(ルート)のチャクラがバツ印、臍(太陽神経叢)のチャクラが10枚からなる花弁が交互の色で五芒星となっていますが、12枚の花弁から成る心臓のチャクラについては、六芒星と呼ぶには色遣いが単一的で判別が難しいようです。https://stat.ameba.jp/user_images/20121208/08/minminsensei/c1/59/j/o0600044912320702466.jpg?caw=800
ただし、シンボル・オブ・ライフの著者のダスカロスは、探究者は、各センターを肉体ではなくノエティカル以上(コーザル体以上?)として認識するように戒めていますので、単純にチャクラと対応させて良いかどうかは分かりません。
このようにXという象徴図形には、肉体を含む低位の四つ組(※)の死とそれ以上の世界への再生の意味合いが含まれるようです。
(※)筆者や系統によって区分が異なるようですが、肉体(+エーテル体)、アストラル体、メンタル体、および高次メンタル体(またはコーザル体)
異なる文化圏の中国でも、漢武梁祠 の伏羲(ふっき)女媧(じょか)図では、東方(右側)の伏羲が始まりと誕生を意味する曲尺を持ち、西方(左側)の女媧の持つ十字の円規(コンパス)は終わりを意味するとされており、十字の意味は一貫して死に繋がります。
https://ameblo.jp/neomanichaeism/image-11254449414-11980540620.html
(解釈は『沈黙の声』(H.P.ブラヴァッキー)による。)
なお余談ながら、孔子の論語にある従心「七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。」の矩は直角を図る曲尺を表していますので、70歳で再転生の可能性が無くなった(自由に行動してもカルマと輪廻に巻き込まれなくなった)とも読み解けるようです。
老荘に対する孔子は、ソクラテスやプラトンに対するアリストテレスのようにスピリチュアル系の人々には不人気な様子ですが、釈迦やイエスが相手の理解に合わせて説明を変えたように、複数人で異なる階層の相手を導く役割分担だったのかもしれません。
この伏羲女媧図では、始まり(誕生)と終わり(死亡)が螺旋を描きながら拡大してきますが、ナディと比較するとイダーとピンガラの交差には対応するものの、垂直のスシュムナーが欠けています。
あるいは、ヘルメスの杖(ケーリュケイオン)と比較すると、巻き付く蛇は表現されているものの、中央の杖本体がありません。
ギリシャ神話の中で、ヘルメスは、アポロンが牛を操るために使っていた杖を譲り受ける際に、まず竪琴を牛と交換し、次に葦笛を杖と交換します。この牛の入手は、禅の十牛図の得牛と牧牛に対応して、放逸な思考の手綱を握り見性を得る事を表し、杖は牛(意識)を操ることによる転生の法則等からの自由(アセンション)を意味するようです。
一方、竪琴と葦笛は、ピタゴラス音律の七音階を示しており、ヘルメス・トリスメギストス(トート)にも関連する7つの法則(7つの二元性)を二重に超越することを象徴しているようでした。
7つの法則とその超越に関する説明は、さらに長くなるので省略するとして、Xが死と再生や神性との邂逅の象徴であり、輪廻・転生の螺旋での上昇に対する垂直のライン(最速で上昇可能な道)が、モンロー研のプログラム体系に対応するという事が分かった事は、参加前の予習での大きな収穫であり期待感がとても高まりました。